11.26

横浜、A.I導入実践編
半徹夜のままZAIMへ。通常は寝ている時間に家から出たら、比喩ではなくて本当に外光が目にしみた。今日は曇りだったから良かったけど、これが晴れで直射日光とか浴びてたら体が砂になって崩れ落ちていたかも。睡眠不足のハイ気味な頭でMTG。昼食をとり熊倉先生のレクチャーを受けた後、2時間ほどかけて横浜巡り。山を下った辺りから不穏な空気は予感していたのだけど、川沿いのあるエリアにカルチャーショックを受ける。そこは所謂、貧民街のような場所。仕事にあぶれた日雇い労働者の群れ、前後不覚でフラフラ歩くアル中の男、立ち飲みやのテレビで競艇を見る人の山、裸足でゴミを拾う老女、末期のジャンキー、こっちをじっとを見る施設の子供、その他諸々の一触即発的な空気の中を、私は俯いて固くなって歩きながら、この場でアートは完全に無力であると感じ、そう感じた自分の脆弱さを呪った。横浜歩きの総括の後、夕方からのトークや飲みなどで素敵な人たちと実りのある話をする。でもそうやって笑っていても、どこか空虚な感覚が抜けず、何かにつけて川沿いエリアの話題を持ち出そうとする自分がいる。誰かと共有しなければ耐えられないほどのショックだったのだろうか?そもそも経済的に貧しいということを自己イメージのみで捉え過ぎなのではないだろうか?ともあれこのトラウマが一時的な気まぐれでなければ良いと思う。
[今日の反省]
MTGの最中に少し悪のり。その後、あれは悪のりだった、と反省。懸命に何かをやろうとしている人をネタにして笑うのは愚劣な行為だ、と昼食を食べながらさらに反省。私は好きな人との距離感が上手く保てなくなりがち。好きだから近付く、で気が付くとテリトリーオーバー。無意味にエキセントリックで無意識に盲目的ーそれはつまり対人関係に対するトラウマと経験値の不足ということ、でもだがしかし、悪のりしたのは私の品性の問題、という事実を見ないふりすることは出来ず暗い気持ちになる。上手くいかない現実は厳しい。